働かないおじさんとは
50代になり、仕事は若い人へ割り振らわれることが多い。
そんな私を働かないおじさんと呼ぶのが聞こえる。
世間では20代に比べ給料は多く、大した仕事をしていないとみなされる50歳以上のおじさんを、働かないおじさんと呼ばれている。
少々苦笑してしまうが、この年になると若手を育てることが中心となる。
新しいことに対して覚えるのがやっとである。
自分が働かないおじさんにならないために
私は友に言われた、自分の評価を低くしていると。
だから働かないおじさんと言われても仕方ない行動だと諭してくれる。
意見を恐れる、若い人へと私自らが戦力外だと思っていたことに気づく。
私の長年の友は働かないおじさんと言われずに、逆に若い人から慕われている。
そんな友からのアドバイスだ。
私は無意識的に世間のまなざしによって私自身が会社に不利益をもたらす者だと、一歩下がった行動になっていたなと自覚する。
私は世間のまなざしから逃げていけない、もっと働けるそう思うことが大事だと友に諭される。
急に言われて変われるだろうか、いあこれこそが自分を卑下している考えなのだ。
働く時代が70歳となった今、私はあと20年ほど働けくことになるだろう。
よき友に感謝を。
働かない人は年齢問わない
50台だから働かないおじさんというわけではない。
若い人でもばれていないと思うのか、サボる姿を見かける。
確かに中年でサボル人もいるが、昔と変わらず活気に満ちたものもいる。
私もみな割らなければいけない。
働かないおじさんは、一言であるが人を変えてしまう恐ろしい言葉である。
人は言葉で変わる、確かにそうだ。
何気なく発した言葉が相手を傷つけることがある。
私たちが築いてきた時代と違うと思っていたが、20代の若者が昔の私と同じミスをしていた。
謝るだけで、次の対策ができていない。
この出来事も私は見ているだけだった。
そうではないと気づく。
このときこそ、私は動くべきだったんだ、例えうるさいと顔をされていても言うべきだった。
その子はその出来事で会社を辞めてしまった。
中年に対する経営が追い付いていない
会社は新人に力を入れている。
それも大事なことであるが、50台以上の人間には、残念ながらかかるコストしか見ていない。
これが働かないおじさんに対する、まなざしの原因であると言えるだろう。
会社側が50台の私たちを見限っている。
会社が50台以上の中高年の能力を引き出していない結果である。
会社が変われば働かないおじさんも減少するであろう。
人件費と減らそうとする会社では、私たちはいつまでたっても働かないおじさんになるだろう。
願わくはあと働ける70歳までに会社の考えが変わってくれることを願おう。
また自分の能力を低くしない努めなければいけない。