大嫌いな人
ずっと親父が嫌いだった。
酒好きで面倒くさくて、古臭い価値観ばかり押し付けてくるおやじに辟易していた俺は、いつからかおやじは家に帰ってきたのがわかると、一切に部屋から出ない生活を送るようになっていた。
親父のほうも、俺が避けているを感じ取ったのか、いつからか俺に何も言わなくなっていた。
大学を出て家を出ると、全くと言って良いほど家には帰らず、盆暮れ関係なく、いつも自分の小さなアパートで暮らすようになっていた。
だから、おやじが余命宣告されたことをお袋から聞いたときは驚いた。
あの親父が、まさか病気で間もなくこの世からいなくなるなんて、信じられなかったからだ。
喧嘩
何年も帰っていなかった実家に、俺は足を運ぶことにした。
本当は、おやじのよぼよぼしているであろう姿を目にするのは怖かったのだが、さすがに会わないでいれば後悔すると思ったのだ。
お袋は、俺の顔を見るなり嬉しそうにほほ笑んだのだが、だいぶやつれていた。
恐るおそるおやじが寝ているベッドのそばに行くと、親父は俺を見て「どうした?」と言った。
「どうしたじゃないだろう?」
俺は少々声を荒げてしまった。
「大丈夫だ」
親父が言った。
「大丈夫なんかじゃないだろう?」
俺がそう口にすると、親父はすぐに続けた。
「帰れ、おまえは仕事をしろ。ちょっと油断すると、すぐクビになる時代なんだ。お前みたいな馬鹿垂れは人一倍努力しなければおいて行かれてしまう」
なんだよ!心配して帰ってきたのに、また説教かよ。
昔と変わっていないおやじに、おれはものすごく腹が立った。
「あのさ、だから嫌なんだよ。わかった、帰る。」
今思えば大人げなかったと思うのだが、少しでも親父が丸くなっていることを期待していた分、無性にイラついて、俺は本当に実家を後にした。
生きているおやじに会ったのは、これが最後だった。
秘密
だけど、本当は一度だけおやじに会っているのだ。
この話は誰にもしていない。
おやじが危篤だと聞いたのは深夜だった。
俺は、電車を待っていることができずバイクを走らせた。
真っ暗な中をひたすら北に向かって走る。
何百回も「安全運転」と自分に言い聞かせながら、慎重に運転した。
直進道路をどこまでも走っていると、前方に左から入ってくる一台のバイクを発見した。
もう2時だ。
こんなに時間にバイクに乗るのは、ヤバイ系くらいなはずだと思っていたのだが、そのバイクはそうは見えない。
見れば、決して若くはない男性の後ろ姿。
どこかで見たことがあるようなモスグリーンの作業着を着た少し猫背のそれは、俺がずっと見てきたあの背中だった。
「心配なんてしなくていいのに。俺だって安全運転しなきゃって思っているよ!」
おやじへ
「待ってくれ!」
俺は、その背中に伝えたいことがあるんだよ。
何とかして間に合わせようとスピードを上げた。
そのとたん、前方のバイクが左に曲がって行った。
慌ててそっちの方を見たのだけど、街灯がぽつんと一つあるだけで、バイクも人影も見つからなかった。
「ごめん。本当は全部分かっていたよ、おやじ……」
俺は、もう間に合わないであろうおやじとの最期の時を知りながら、実家に向かった。
あの日家を出てから全く実家に帰らない俺を、おやじは一度も咎めたことがなかった。
勉強や仕事の手を抜いたときはメチャメチャ怒ったけど、それ以外は叱られたことがなかったもんな。
あの日のことは、夢なんかじゃない。
だけど、もったいなくて、今でも誰にも言わずにいるんだ。
*異次元の話を書いてみました。